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合気道について

 合気道は、植芝盛平が各種の武道を学んだ後、大東流合気柔術の創始者 武田惣角氏に師事し独特の自然観と人間性の向上を目的に創始された日本の武道であります。その源流は古く、800余年の歴史があると云われています。

争いを超越した和合の精神を武道の理合の中に表現した技が合気道であります。

 

 養神館合気道は、植芝盛平の高弟であった、塩田剛三が創始された団体であります。中心線、中心力の強化を軸におき、肉体的な強さだけでなく、心身を練磨し、穏やかでしかも積極的な人格を育成する武道であります。

自然の流れで行う技は、気の流れや血流をよくし、互いに身体の内側から元気 になり、稽古を通して相手との一体感、自分の体とひとつになる感覚、万物 との繋がりが得られます。

 養神館合気道龍は、安藤 毎夫師範が主宰する合気道団体であります。

千葉県下はもとより全国に於いて、養神館合気道の研究と普及活動を行っています。

龍の技術体系は塩田 剛三館長直伝の中心力の体得と強化にありますが、

楽しく稽古することが最大の目標です。

力づくの技でなく、相手に敵愾心を起こさせない、無理のない技法が特色です。

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植芝盛平

Morihei Ueshiba

合気道開祖

1883年12月14日-1969年4月26日

​和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺)に生まれた。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。

身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。

終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道・空手道などに次ぐ国際的武道に育った。盛平の功績は社会的に高く評価され、紫綬褒章、勲三等瑞宝章などを受賞した。

塩田剛三

Gozo Shioda

養神館宗家

​1915年9月9日-1994年7月17日

​身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格ながら「不世出の達人」と高く評価された才能と資質を持ち、「現代に生きる達人」「生ける伝説」とも謳われた。

1955年7月、ライフ・エクステンション(長寿会)主催の「日本総合古武道大会」において演武を披露し、同大会最優秀賞を受賞。翌 1956年、政財界の人脈の後押しを受け、養神館合気道を立ち上げ道場を新宿区筑土八幡に設立した。

1961年、植芝より合気道九段(当時最高位)の免状を受ける。1983年には、国際武道院より範士号を、 1985年には国際武道院より合気道十段を、1988年には国際武道院より合気道名人位を授与された。

1990年全日本養神館合気道連盟、国際養神会合気道連盟を設立。国内だけでなく海外まで養神館合気道の普及を進めていった。

安藤毎夫

Tsuneo Ando

NPO法人養神館合気道龍 代表

㈶合気道養神会 本部最高師範

1956年年10月29日

​大学在学中に合気道を始め、昭和の名人、塩田剛三先生の技に感銘を受け養神館に入門。内弟子として14年間修業。塩田先生直伝の確かな技と、その人柄を慕い、日本ばかりでなく、海外の道場から招聘され、アメリカ、カナダ、ドイツ、ロシア、南米の道場でも指導に出向いておられます。養神館合気道九段・公益財団法人合気道養神会・本部道場最高師範となる。平成8年、養神館合気道龍 代表として独立、現在NPO法人養神館合気道龍として合気道の普及発展を目指しつつ修行中。

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